「井戸川双葉郡町村会長の辞職について」 監督・舩橋淳
【拡散希望!】井戸川双葉郡町村会長の辞職について、私見を書きました。井戸川町長はいま孤立しています。彼を追い込むのは、誰のためにもなりません。
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「井戸川双葉郡町村会長の辞職について」
12月10日 井戸川双葉町長が、双葉郡町村会長を辞職しました。
(朝日新聞リンク)
その後、井戸川町長に直接聞いたり、福島県内の他の市町村の方々にきいた情報を元に、僕の見解を書きたいと思います。
中間貯蔵施設建設の議論に際し、井戸川町長は、国に対し、放射性廃棄物を生み出すことになった今回の事故の責任がどこにあるのか。(言い換えると、誰のせいでこの汚染が引き起こされ、その犠牲として双葉郡の一部が中間貯蔵施設を背負わされるのか)、最終処分場はどうなるのか、をはっきり示すようにと何度も求めてきました。それには応答せず、国は他の市町村の囲い込みを進め、さらに佐藤県知事、広野町長など直接施設に関係はしない市町村が「復興をおくらせるな!」という流れに乗っかっている。空気だけで物事が進められ、「誰の責任なのか」(=もちろん国・東電であり、それを国は明確には認めたくない)とロジックを突きつける町長のような人物は煙たがられる、というのが現状況です。
たしかに対話の輪を打ち切った町長にも非はあると思います。
しかし、日本の歴史上初めての原子力災害で、責任者が明確にされることなく、地方都市がそのゴミ処理を背負わされる、というのは正しいのでしょうか。これは国に都合がいいばかりでなく、その町で生きる権利を剥奪された人々の、生存権を侵しています。
求められているのは、
まず第一に、双葉郡の人々の生きる権利を確保して(事故の責任者(加害者)による仮の町設置・賠償)
第二に、その故郷に、申し訳ないが核のゴミ溜めを作らせてもらう交渉を始める
ことだと思います。それが物事の順番ではないでしょうか。
それをうやむやにされ、ロジックもなく「復興」の名目の元に、除染・中間貯蔵施設建設が進めるのは、双葉郡の他の市町村にとっても自らの生存権を侵す、つまり自分の首を絞めていることになります。
井戸川町長は「混乱を避ける」ため辞任した、と言いました。
町村会の和を乱すことは、良くないのでしょう。
しかし、集団がなんとなく空気に流され、自らの権利を冒涜し、自滅してゆくときは、どうすればいいのでしょうか。
成熟した大人として、ロジックに基づいて、対話が開かれることを望みます。
これがまた、「空気」としてマイナスイメージを生み、双葉町長の辞任要求へ悪影響を及ぼすようなことがないよう、祈ってます。
舩橋淳
(映画「フタバから遠く離れて」監督)