2011年3月12日
双葉町民は1号機の水素爆発を耳にし『死の灰』を被った。町は全面立入禁止の警戒区域となり、1400人が250㎞離れた埼玉県の高校へ避難。地域社会丸ごと移転したこの高校は、まさに現代のノアの方舟と化した…
双葉町長井戸川克隆は、財政破綻した町を救うため7・8号機を誘致した原発推進派だった。しかし、町民が被爆に遭い、事故が長期化するにつれ、その信念が変化してゆく。
建築作業員・中井祐一さんは津波により家を流され、母を失った。農地全てを流された父とともに避難所暮らしを続けながら、震災翌日に予定された救助活動がベント・水素爆発により中止となったことを悔やんでいる。原発事故により助からなかった命は少なくない、そう訴えつつ、次の人生を模索してゆく。避難から3ヶ月後初めて一時帰宅が許され、無人地帯となった故郷へ帰還する彼が見たものとは…?
原発により1960年代以降経済的繁栄が約束されてきた場所・双葉町。町民は、いまだ奪われた家・土地・財産の補償を受けずに、5年以上とも言われる避難生活を続けている。
高校の教室に畳を敷き、10~20人で寝食を共にする共同生活。毎日のお弁当で命をつなぐも、肝心の原発事故は収束したのかどうか定かではない。時間が経つにつれ東北の復興が加速してきても、取り残されていく避難所の日々。
先進国日本の片隅で忘れ去られて行く人々。先の見えない待つだけの避難所の時間をカメラは9ヶ月にわたり記録した。日本の原子力政策の成れの果てがここに凝縮されている。
「私たちも原発事故の当事者である。」
何も見えない。311後の日本は、何も見えないことにフラストレーションを抱えてきた。
あの原発で何が起こっているのか?原子炉の中はどうなっているのか?放射能はどこへいったのか?自分は被爆したのか?被爆したとしたら、どうなってしまうのか?
今回の事故で日本政府と東電の対応はとても似通っていた。事実の公表をさけ、「健康にただちの被害はない」という文言に終始する。肥大する政府不信と東電不信・・・日本国民だけでなく、世界中からも不信を買ってしまった・・・国が推進してきた原子力政策。それが破綻を来し、危険だという理由から、警戒区域の中を見ることはできなくなった。大手メディアも国の命令に従い、僕たちの「知る権利」は宙吊り。何も見えない、知らされない恐怖と闘い続けるのが、ポスト311の日本の日常となった。
そんなとき、もっとも割を食う、もっとも無視され放置されるのが、避難所の人たちだ。自分たちの家に帰られるのか、仕事はどうなるのか?基本的な質問に対する解答が永遠に引き伸ばされ続ける。その宙ぶらりの時間を記録しなければいけない。忘れ去られてはいけない。そんな強い衝動に駆られて、僕はキャメラを手にした。まだ地震・津波の被害状況ばかりがニュースで、その甚大さばかりが強調された2011年3月末のことである。
この映画は、避難民の時間を描いている。1日や1週間のことではない、延々とつづく原発避難。今回の原発事故で失われたのは、土地、不動産、仕事・・・金で賠償できる物ばかりでない。人の繋がり、風土、郷土と歴史、という無形の財産も吹き飛んでしまった。それに対する償いは、あいにく誰も用意していない。用意できるものでもない。
そして、僕たちはその福島で作られた電気を使いつづけてきた。無意識に、加害者の側に立ってしまっていた。いや我々は東電じゃないんだから、加害者じゃない、というかもしれない。本当にそうなのか。地方に危険な原発を背負わせる政府を支えてきたのは、誰なのか。そんな犠牲のシステムに依存して、電気を使ってきたのは誰なのか。いま 僕たちの当事者意識が問われている。
監督:舩橋淳(ふなはしあつし)
映像作家。東京大学教養 学部表象文化論分科卒後、ニューヨークで映画制作を学ぶ。
長篇映画『echoes』は仏アノネー国際映画祭で審査員特別賞、観客賞を受賞。第2作『BIG RIVER』(主演オダギリジョー、製作オフィス北野)はベルリン映画祭、釜山映画祭でプレミア上映される。またニューヨークと東京で時事問題を扱ったド キュメンタリーの監督も続けており、アルツハイマー病に関するドキュメンタリーで米テリー賞を受賞。 今作の撮影過程を記録した著書「フタバから遠く離れて―避難所からみた原発と日本社会(仮題)」を今秋出版予定。
【劇場用映画 Feature Films】
2012 『桜並木の満開の下に(仮題)』(2013年公開予定)
2012 『フタバから遠く離れて(NUCLEAR NATION)』
2009 『谷中暮色 (Deep in the Valley)』(2010年全国公開)
2006 『BIG RIVER』(2006年全国公開)
2001 『echoes』(2001年全国公開)
「そのとき、自分には何ができるのか?」
2万人以上の死者・行方不明者を出した2011年3月11日の東日本大震災。そして最悪の事態を引き起こした福島第一原発の事故。震災の翌日、一号機水素爆発の直後に出された避難指示により、住民たちは着の身着のまま避難を余儀なくされ、大量の「核・避難民」が生まれてしまった。
双葉町は原発から3キロのところに立地している。福島県の一時避難所から、3月19日に役場機能を250キロ離れた埼玉県に移し、避難住民のうち約1200人も一緒に移動した。さらにその後、3月末に、映画の舞台となった同県の廃校(加須市/旧・騎西高校)に再び移動した。以来、現在にいたるまで人々は教室で暮らし、子供達はここから近所の学校へと通っている。故郷の町は、災害基本対策法に基づく警戒区域に設定され、民間人には、立ち入りが禁止されたままだ。
この未曾有の事態を前に、日本中で多くの人々が「自分に何ができるか」を問うた。舩橋淳はディレクターとして、私はプロデューサーとして悩み抜いた末、震災後3週間目から、この廃校に暮らす双葉町の人々を記録する事にした。彼らのおかれた不条理な状況に共に苦しみ、共に怒りカメラを回し続けた。
日本の原子力発電所は1960年代以降、せまい国土に次々と建設された。現在、アメリカ、フランスに続いて、「54基」(世界第3位)。そのほとんどが、福井、福島、新潟など限られた地域に集中して、海沿いに立地されている。電力を消費する東京など大都市ではなく、発電所の多くは電力の消費地とは無縁の産業の乏しい場所に建設された。何が起きても原発は安全だという神話と原発交付金など立地する自治体にばらまかれたお金。そうして地域活性化、雇用促進の名の下に次々と原発が建設されていった。大都市で暮らす私たちは、そのことにあまりにも無自覚であった。
出稼ぎの町だった双葉町にとって、原発はお金を生み出す魔法の杖だった。町は原発との共存共栄を掲げて発展して来た。双葉町を見つめる事は、とりもなおさず日本の産業構造が生み出した歪んだ原子力行政を問い直す事に他ならなかった。
震災から1年近くたった現在でも、福島県外に避難した人々は6万人を超え、この廃校にも、まだ役場とともに600人以上の人々が暮らし続けている。1月、政府は放射性物質に汚染された廃棄物の貯蔵施設の建設を双葉町などに要請した。原発事故で故郷を追われたうえ、放射性廃棄物の貯蔵施設の受け入れを迫られて、町長は野田首相にこう質問した。「私たちを国民だと思っていますか、法の下の平等が保障されていますか」と。
「ノアの箱船」のような廃校に暮らす人々は、故郷の双葉町にいつ戻ることができるのか?5年後?20年後?30年後?その答は誰にもわからない。
しかし、舩橋と私は彼らが故郷に帰るその日までカメラを回し続ける。
プロデューサー:橋本佳子(はしもと よしこ)
1985年よりドキュメンタリージャパン代表を20年間務める。ドキュメンタリー番組を中心に数多くの受賞作品をプロデュースし、現在も精力的に作品を作り続けている。個人として、放送文化基金個人賞、ATP個人特別賞、日本女性放送者懇談会賞受賞。芸術祭賞、芸術選奨、民間放送連盟賞、地方の時代映像祭賞などの審査員や 座・高円寺フィルムフェスティバル実行委員を務める。
プロデュースした映画作品は『遠足 Der Ausflug』(86分/1999/監督:五十嵐久美子)、『パンダフルライフ』(100分/2008/監督:毛利匡)、『ニッポンの嘘』(114分/2012/監督:長谷川三郎)、『dear hiroshima』(90分/2012/監督:リンダ・ホーグランド)がある。
地域 | 劇場名 | 電話 | 公開日 |
愛知・名古屋 | 名古屋シネマテーク | 052-733-3959 | 12月1日~12月7日 |
大阪・十三 | シアターセブン | 06-4862-7733 | 12月1日~12月28日 |
兵庫・神戸 | 神戸アートビレッジセンター | 078-512-5500 | 1月5日~1月11日 (※8日休映) |
長野・松本 | 松本市中央公民館Mウイング6階ホール | 0263-98-4928 (松本CINEMAセレクト・宮崎) |
1月11日(金) |
福島・福島 | フォーラム福島 | 024-533-1515 | 1月26日 |
福井・福井 | メトロ劇場 | 0776-22-1772 | 1月19日~1月25日 |
東京・渋谷 | オーディトリウム渋谷(再上映) | 03-6809-0538 | 2月23日~3月15日 |
北海道・札幌 | 蠍座 | 011-758-0501 | 3月5日~3月11日 |
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©2012 Documentary Japan, Big River Films
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坂本龍一(音楽家)
双葉の人たちに感情移入して何度か泣いた。日本の原子力政策を変えたい。
想田和弘(映画監督)
8月に日本に帰って感じたのは、今や日本人は放射能問題にも原発問題にもうんざりで、早く忘れたがっているという雰囲気だ。放射能の話題が会話に上ることが驚くくらい激減している。それは人間としては当然の心理だが、埼玉の避難所にはまだ200名の双葉町民が暮らしていることを忘れてはならない。舩橋淳監督の『フタバから遠く離れて』は凄い映画だった。別に舩橋くんが旧友だから言うのではない。正直、ビックリした。普通は撮れないシーンの目白押しだった。やはり現代文明の矛盾があの避難所に凝縮していたのだろう。それを彼は嗅ぎつけしっかりカメラで捉えた。あっぱれです。ちなみに、舩橋くんはこれまで劇映画を主に作ってきたけど、佐藤真氏を師とし、岩波のワイズマン本ではワイズマンにロング・インタビューをしている。NYの製作会社では、僕と机を並べてドキュメンタリー番組を作っていた。4つ年下なので後輩といえば後輩だけど、良き友である。町ごと避難するはめになった双葉町民にとっても、事態は決して単純ではない。被害者であると同時に、原発を誘致し職場としてきた側面もある。それは双葉町民以外の私たち日本国民の複雑さとも重なる。その単純には割り切れない現実を舩橋くんはとらえていた。勧善懲悪や告発モノとしてではなく。
マエキタミヤコ(サステナ代表)
電気を使う国民必見。千年、二千年、福島から、双葉から、目をそらさないことを誓おう。これが原発のリアルだ。
吉田涙子(文化放送アナウンサー)
映画「フタバから遠く離れて」、涙が止まらなかったし思いがこみ上げ過ぎて監督にご挨拶すらできなかった。福島原発事故で旧騎西高校に避難した双葉町民を追いかけたドキュメンタリー。まだまだ全然、収束なんかしてないよ。
小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
ふつふつと怒りがこみ上げてきます。これだけの悲劇を起こしながら、誰も責任を取らずに済むとはいったいどういうことなのでしょうか?多くの人に見てほしいと願います。
水野誠一( Think the Earth 理事長・元西武百貨店社長)
今日は、映画「フタバから遠く離れて」の試写会に・・原発事故後、双葉町から街ごと集団避難した町民を定点観測した舩橋淳監督の作品。10月に劇場上映もあるが、原発立地での自主上映会を希望している。他人事とは思えない各地で観てほしい!佳作。
木内みどり(女優)
「フタバから遠く離れて」を見てきました。 大事故が起こって悲惨な事が次から次へと。 地震と津波は天災ですが、原発事故は防げた事故、人災です。 舩橋淳監督が被災者の方々に寄り添った長い時間の記録。 音楽は坂本龍一さん。 脱原発抗議、わたしなりにできることをジリジリ頑張ろうと力づけられました。
松林要樹(映画監督)
わたしは批評家としては結構辛辣な部類に入るのですが、
編集のリズムが気持ちよく、いい印象をもちました。
それにしてもすごく、拙作と取材している映像が似ていて。
避難所だったり、一時帰宅だったり。
黒字の白抜きのインターテロップも。
同じ時期に同じ浜通りを撮影するとこうなるものかと。
構成とカメラマンの違いが映画として全く違う印象を残しましたね。
町長の自責の念が全体を通して、ストレートな好感を持つ印象でした。
フナハシさんが今後、双葉をとり続けていくなら
安心してわたしも南相馬をとり続けようと思いました。
藤田和芳(大地を守る会)※Twitterからの転載
映画「フタバから遠く離れて」を観た。あの日、福島県・双葉町民は1号機の水素爆発を耳にし「死の灰」を被った。町民1400人は250km離れた埼玉県の旧騎西高校へ集団で避難。まさに、現代のノアの方舟のような避難生活を描くドキュメンタリー映画。日本の原子力政策のなれの果てを見た。原発を誘致しているすべての立地自治体の人々に観てもらいたい映画だ。どんなに経済的利益をもたらされても、ひとたび原発事故が起これば、東電からも国からも見捨てられようとする双葉町の人々。監督は、舩橋淳。エンディングテーマの作曲・演奏は坂本龍一。
古賀太(日大芸術学部教授)
10月13日に公開される船橋淳監督のドキュメンタリー『フタバから遠く離れて』を見た。震災や原発のドキュメンタリーはほとんど見ていないが、見に行ったのは音楽を担当した鈴木治行氏が20数年前からの友人だからだ。これが予想以上に心を動かされた。
「フタバ」とは福島県双葉町のことで、地震後に町全体が警戒地区となり、1423人が埼玉県の高校の旧校舎に住み始める。映画はその人たちの4月から半年あまりを捉えたものだ。
「定点観測」とも言えるが、まずこの映画が単調でないのは、双葉の街が時おり挟まれるからだ。最初は町長が見せるアルバムをめくりながら、そして中盤には一時帰宅に同行する形で。
震災前の桜の美しい写真とは対照的に、焼野原のようになった海岸。全く無人だけに恐ろしい。遠くから見ると、普通の街並みのように見えて、近づくと誰もおらず、薄気味悪い民家の並び。あちこち墓石が倒れた墓場、あるいは警告を無視して牧場を続ける男。「原子力、豊かな社会とまちづくり」という看板。
高校の中での生活にしても、立ち入り禁止の双葉町にしても、映画は昼間だけではなく、夜や早朝の光景も捉える。こうこうと明かりのつく夜の高校は不気味だ。あるいは早朝の強い日差し。
いくつかの場面が特に記憶に残る。かつて原発推進派だった町長は言う。「結局、原発誘致は失敗だった。我々は放射能まみれで生きてきた。しかし全くまみれていない東京の人々が栄えた」。デイケアに行った老いた妻が、書道を習って帰って来る。それを夫に見せると「故郷」という文字が何枚も何枚も出てくる。双葉で牧場を続ける男が案内してくれた付近の牧場の牛たちの死骸。誰かが携帯で撮ったものだろう、冒頭の天皇皇后の訪問シーンにも泣いてしまった。
一つの対象をしっかりと凝視しているうちに、いつの間にか向こうから感動的な映像が訪れたような、そんな感じのする労作だ。この映画は現在も撮影中というから、続編が楽しみだ。友人の鈴木さんのピアノと尺八の音楽も良かった。
この映画を見たのは昨日だが、その夜に広島の「黒い雨」をめぐる「NHKスペシャル」を見た。残留放射線の被害を隠そうとしたアメリカ政府とそれを支持した日本政府の対応が、今頃になって明かされている事実に暗澹たる気分になった。やはり原爆と原発は、日米関係を通じてつながっている。
鴻上尚史(劇作家)※Twitterからの転載
ドキュメント映画「フタバから遠く離れて」を見る。何度も涙が流れる。福島原発そばの双葉町の美しい自然の描写と、忘れられていく人々・街の対比が迫る。地域社会丸ごとの移転という前代未聞の記録。ぜひ、多くの人に。