福島第一原子力発電所の事故により、全町避難を余儀なくされた福島県双葉町住民が、いかに放射能と向き合っているのかを描いた短編ドキュメンタリー。
福島全県民への被ばく調査が遅々として行われない中、双葉町民へ「健康県民管理ファイル」が県から配布され、放射能の安心教育が進められてゆく。一方、双葉町はホールボディカウンター(WBC)を導入し、独自の健康調査を始めた。
検査でどれだけの数値が出るかが当初、問題と思われていたが、実は放射能による被害とはそれだけではなかった・・・
人間の五感では感知不可能な放射能について、その本当の被害とは何かを問いかける。
本作は、2014年秋公開の 「フタバから遠く離れて 第二部」のスピンアウト作品として制作された。愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品第22弾。
企画:愛知芸術文化センター
製作年:2014年
時間:35分
フォーマット:HD、カラー
監督・撮影・編集 | 舩橋淳 |
プロデューサー | 橋本佳子 |
挿入曲 | “for futaba ~双葉町のみなさんのために~“ 作曲・演奏 坂本龍一 |
<間>に広がるもの
舩橋淳
福島第一原発事故によって故郷を追われた人々の避難生活がいまだ続いているという事実を、我々はどうしてよいのか分からず、狼狽(うろた)えつづけている。
当然だが、報道はニュース性のあるものばかりを追う。
その結果、福島のグランドゼロ(1F)と首都の政府、東京電力の動き、つまり、東京と福島県浜通り地方の往復運動ばかりに終始し、その<間>の場所に多く点在する避難民について、取り上げることが少なくなってしまう。
文字情報として200字ほどに要約して、他のニュースと並べても目を引くような目新しさを求められるジャーナリズムでは、<間>の人々を取り上げることは難しい。どこかに仮設住宅が新設されたとか、避難区域の新しい区分けが施行されたとか、避難所が震災から3年目を迎えるとか、節目や変化の瞬間しか取り上げられない。だから、3年以上避難生活が続き、政府発表では最低あと3年、専門家がいうには30年〜数百年、故郷に戻れない人々がずっと「持続的に」その苦しみを背負い続けなければいけない状況に誰も対処できずにいるのは、情報化=ニュース化された社会の中で<間>への感性が鈍っている、もしくは<間>への対処方法が、社会構造的に存在できないことに起因しているといえる。
原発事故から3年が経ったのに、13万人を超える原発避難民の多くが、いまだ賠償問題が片付かないまま故郷から離れた仮の庵に住んでいる、もしくは避難指示が一部解除になっても除染や社会インフラなど環境が整わず、家族がバラバラの生活を強いられている、という宙ぶらり人生を続けている。
いわゆる20mSv問題——政府が避難区域の線引きを国際的な被爆限度基準1mSvの20倍、チェルノブイリの4倍に引き上げ、1~20mSvの<間>の地域に住む人々(それは福島ばかりでなく、広く関東・東北を覆う)に被爆を強いてきた問題、さらに除染基準もそれに左右され除染が可能なのか否かで混乱したまま、莫大な国費が投じられ続けている問題——について、誰もが納得できる施策が打ち出せていないのも、この<間>への感性が欠落しているからに他ならない。
そして、この<間>に放射性物質が拡散する。
人間が捉えることのできない隙間に入り込み、広がってゆく。
放射性物質は見えない、聞こえない、臭わない、感じない。
人間の五感、どの感覚をもってしても捉えることのできない代物をどう対処してよいのか、その解を未だ誰も提示できずにいることが、我々の慢性トラウマとなっている。
この放射性物質の感知不可能性を、ここで放射能と呼んでみたい。
放射能は、人間を超越し、人間を追いつめる。
放射能は、距離があくほど希薄になる人間の責任感・当事者意識と相まって、<間>に位置する人々を追いつめる。
それが3.11以降の日本だと思う。
無感覚と忘却により、ゆで蛙のようにじわりじわりと死に向かう。
そんなシステムをなんとかしたいと思う人間は少なくないだろう。
2013年9月、福島原発告訴団が刑事告訴した勝俣恒久東電元会長、班目春樹原子力安全委員会元委員長、山下俊一福島県放射線健康リスク管理アドバイザーなど33名は不起訴処分となった。誰か特定の人物に、「全ての責任がある」と訴追することは出来ないからだという。
はっきりと責任の所在をピンポイント化できない状況がつづく。
ぼんやりとした雲に隠れた「責任者たち」は遠く霞ヶ関、永田町、内幸町あたりにいる。
集団無責任社会ですべてが距離によってボヤカされ、可視化できない。
まるで放射能のように、我々は五感で掴めないものに対処できないでいる。
結果は、最悪であることは分かっているのに!
アメリカでは環境問題でNIMBYという言葉をよく目にする。Not in my backyardの略で、ゴミなど迷惑物を自分の庭だけには捨ててくれるな、という意味だ。それは、人が誰しも持つ本性であるという認識、つまり、誰もが「自分だけは勘弁してほしい。他人はどうでもいい」と感じることは当然であり、だからこそ司法や法律がそれを規制し、歯止めとなることが求められる、という性悪説的考え方である。
日本人もこのNIMBYと正面から向き合うべきだろう。
誰もが責任逃れしようとする状態から、誰もが責任を追わねばならない状況をシェアする社会へ成長すること。
できるだろうか。
埼玉県加須市にある双葉町の避難所は、2014年3月に正式に閉鎖された。
多くの方の家が帰宅困難区域になっているため、約7000人の町民はこれで全国にばらばらに拡散するしかない。
ジャーナリズムが取り上げない、<間>の人々へ想像力を働かせること。
それが我々にできるささやかなことだと思う。
見えない放射能、見えない責任者たちへ、想像力を働かせること。
それがNIMBYに立ち向かうために我々が出来ることではないか。
幸い人間は、映画という芸術を持った。
映画は、目に見えないものを描き出す装置だ。
監督:舩橋淳(ふなはしあつし)
映像作家。東京大学教養 学部表象文化論分科卒後、ニューヨークで映画制作を学ぶ。 長篇映画『echoes』は仏アノネー国際映画祭で審査員特別賞、観客賞を受賞。第2作『BIG RIVER』(主演オダギリジョー、製作オフィス北野)はベルリン映画祭、釜山映画祭でプレミア上映される。またニューヨークと東京で時事問題を扱ったド キュメンタリーの監督も続けており、アルツハイマー病に関するドキュメンタリーで米テリー賞を受賞。初のドキュメンタリー監督作「フタバから遠く離れて」は世界各国30以上の映画祭へ招待され、現在も米・独・仏・ポーランドなどで上映中。2012年度キネマ旬報文化映画第7位。同名著作『フタバから遠く離れて』(岩波書店)も出版。また劇映画『桜並木の満開の下に』(主演:臼田あさ美、三浦貴大、高橋洋)は監督作として4作連続ベルリン国際映画祭へ正式招待の快挙を成し遂げた。
【劇場用映画 Feature Films】
2014 『フタバから遠く離れて 第二部 NUCLEAR NATION II』(制作中)
2013 『桜並木の満開の下に』
2012 『フタバから遠く離れて(NUCLEAR NATION)』
2009 『谷中暮色 (Deep in the Valley)』(2010年全国公開)
2006 『BIG RIVER』(2006年全国公開)
2001 『echoes』(2001年全国公開)
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写真をご使用される場合は、下記のコピーライト表記を添えてご使用下さい。
©2014 Documentary Japan, Big River Films
また、画像をご使用の場合は、プレスの方、一般の方ともに、
①掲載媒体名(ウェブサイトの場合はURLも)と②掲載日を
info@nuclearnation.jp までお知らせくださいますようお願いいたします。
福島県双葉町のみなさま
福島県双葉郡のみなさま
福島県双葉町役場のみなさま
井戸川克隆前双葉町長
菅直人元内閣総理大臣
谷岡郁子元参議院議員
坂本剛二衆議院議員
吉澤正巳 希望の牧場・ふくしま
エクゼクティブ・プロデューサー
越後谷卓司
オリジナル映像作品制作作家選定委員
天野 一夫
岡村 恵子
北小路隆志
酒井 健宏
越後谷卓司
撮影 |
舩橋淳 山崎裕 |
カラーコレクション |
鈴尾啓太 |
ポスプロアシスタント |
織山臨太郎 |
撮影機材 |
Panasonic Studio DU, 104 co Ltd |
英語字幕 |
石原雪子 |
挿入曲 |
“for futaba ~双葉町のみなさんのために~“ |
プロデューサー |
橋本佳子 |
製作 |
ドキュメンタリージャパン |
編集・監督 |
舩橋淳 |